【東洋医学的見解】湿気の時期は沼るのか?

6月後半から7月前半にかけて。

梅雨らしい梅雨もなく、夏に突入したような。

7月の頭は、「戻り梅雨」なんてキーワードもあり、

べとっとした「湿気」を感じる日々。

 

外界と共振共鳴する陰陽の私

外の気が「湿気」に満ち溢れているということは、

共振共鳴の法則から、私個人も、相対的に「湿気」が満ち溢れるわけです。

特に、元々「湿」多めの私にとっては、過剰になること間違いなし。

 

カラダ(陰)が「湿」過剰なら、共振共鳴の法則から「精神的な存在である私(陽)」も湿気まみれになる。

下手したら「沼」です。

いや、すでに「沼」だった。

 

沼な私とは?

沼って泥。泥まみれになって、どこを目指しているのかわからない、そんな状態。

泥まみれだから、前もみえないし、広ーく広がる沼だから、今の自分の立ち位置が解らなくなる。

それでいて、動いていないと沈むから、とにかく動く。

もがいている状態。もがいているだけで、目指している場所がわかならないから、安心感がない分、余計に気を消耗する。

 

沼な私を脱却したいなら、どうすればいいのか?

「地・水・火・風・空」の五大元素の考え方を使って。

沼は 地+水 でできている。

沈まないように沼→大地にして、しっかり立てるようにするにはどうしたらよいか?

大地=沼-水 。 沼から水を減らせばよい。

水を減らすには、日光をあてて乾かす。 もしくは、乾いた土の量を増やして水を吸収させる。

 

日光を当てるは、火の元素を加える。乾いた土をプラスするのは、地の元素を加える。

地をプラスするのは、地道にコツコツと、日々の生活の基盤を第一に行動する。

火をプラスするのは、自分にスポットライトを当てること。「自分の人生」そのものにフォーカスする。

一体自分は何をしていきたいのか? 自分が主役の人生とは何なのだろうか? 今の人生はきちんと自分の人生なのか??

そうやって、自分と向き合い、目の前にある選択肢を自分基準で、「~だから、これを選ぶ」をしないこと。

「私はこれを選ぶ」と心から言えることなのだ。

 

手っ取り早く、体内に火の要素を入れる、陽の要素を入れる、「お灸をする」ことで、体内の湿気を払うのもアリだと思う。

それが、共鳴して精神的な私にも、陽の要素が加わり、土が乾き、しっかりしてくるはず。

 

水を始末するには、水を流すこと。

水を流すのは、溜まった水を使うこと。

水が溜まっていることは認識すること。

そして、水は感情。私の「気持ち」認識できないで、引っかかっていることはなかろうか?

それとも、女性性の象徴である「水」を使えていない。つまり、「女性」である私を持て余してなかろうか。

あるがままの受容や受け入れ、抱擁力。その力が宝の持ち腐れになっていないかい?

 

日光を当てるの簡単だけど、「使える水」に変化させる方が、よいんだろうとは気づいています(笑)

水が多すぎるんですよ、私。だから、火を消しちゃう。なので、足の中指が異様に小さい。

でも、使い方、わらんのですよ・・・。(笑)

わかったら、また、報告します。

 

沼を東洋医学でみると

沼は土の行。そこが水浸しになっている。と考える。

土=脾。脾が水浸し。軟便にもなるし、気も作られず、疲れますわな・・・。

陽の私が沼ならば、陰の私も沼であり、そこは、「脾」が水浸しで、「脾」の機能低下です。

胃腸の活動、消化活動の停滞がみられるということ。確かにそうですわ・・・。

 

脾の湿気を取る。養生をするのがよいでしょうね、この沼状態は。

アイス厳禁・・・。シュークリーム厳禁・・・。