改札で電車が到着したててであることをキャッチ。
ホーム階段にをダダダっつと降りる。
が、そこに自身はその電車に乗らないであろう高齢の方が、
真ん中を悠々と歩く。
そして、駅ホーム階段は、降り口の方が狭い。
後ろでは、焦っているそして、走ることのできる若者。
道を塞ぐ高齢の方のため、目的を達成できなかった若者。
感情的には、イライラ&怒り。
高齢の方が、ハジを歩いていれば、目的は達成できたであろう。
高齢の方が、後方に気づき道を譲れば、目的は達成できたであろう。
しかし、老いるということはそういうことなのだ。
気遣いができないのほどに、脳が老化し、
瞬時に道を譲れないほど、運動機能が低下しているのだ。
これは抗えない事実。
社会というものは幼児、若者、中年、高齢者から成り立っている。
そう、人体が社会の縮図であることを考えれば、
この駅で起きたできごとは、体内でも起きているわけだ。
つまり、老化した”気”が流れを遮り、
元気に目的を達そうとしてる若い”気”の流れを滞らせている。
つまり、気滞には、気が旺盛すぎて引き起こるものと、
そもそも気が老化して、流れがゆっくりとなってしまい、
気の集合体の流れが自体を滞らせている場合がある。
のでは、なかろうか?
脾臓が老朽化した赤血球を破壊するように、
老朽化した”気”をリフレッシュする仕組みはあるのだろうか?
少しかんがえてみよう。