【トウリーディング】何もない

バスタイムトウリーディング

顔を洗顔料で洗うように、私は足を洗顔料で洗っています。

顔と同じように泡立てネットでもこもこの泡を作って、足を包み洗う。

その洗っている間が、セルフトウリーディングタイム。

私の第4趾は特徴的。
第1、2,3趾は纏まってくっついていて、どれも小さい趾。

第3趾と第4趾、第4趾と第5趾にはそれぞれ空間がある(ように見える)

そして、第4趾だけ「ぼでっ」としている。何かを主張しているかのように。

そんな第4趾に目がいきがち。

 

第4趾が表すメッセージ

第4趾は、トウリーディング的には「水の指」と言われ、

感情について、人間関係、性差や性について、などに対して、

「どのように感じたか?」という問いに対して、何等かのメッセージを与えてくれる趾。

チャクラでいうと第2チャクラに相当。

第2チャクラもセクシャリティー、想像力、生み出すことなどと関わりがある。

 

私はここに出てくるようなキーワードに対して、

向き合うことの恐怖心から蓋をしているのか?と思っていたけれど、

今の私の過去には何もなかった。ほんと、何もないのだ。

 

何もないことがむしろ不安で、うしろめたさがあるくらいだ。

 

何も感じていない。

感じていることさえ、それが演技のような感覚がある。

 

そこに気づくと、「私」という存在自体に揺らぎを覚える。

私は、変わりやすい。

いろいろなことをやってみたくなるし、

色々な事に興味がある。

よく見てみると、

そこに、「私」がいるのか?という思いがわいてきた。

 

そして、事には興味があるが、人にはあまり興味をもたない。

人と関係性を結ぶ という ことが ない。

関係性を問う第4趾について、

関係性というキーワードはどうしてもピンとこないことが多い。

 

ふと湧いてくる思い。

私は、中の人が多すぎて統一がないため、

外に関係性を求めることができないくらい、中の人で手一杯であった。

 

そんなことに気づいたら、私の足の甲には、過去生だったり、先祖だったりと

私が生まれる前を表す場所に横のシワが結構刻まれていることに気づいた。

 

社会的な役割だけじゃないぞ

使命というと、天職だったり、社会的なことだったりを思いがちな私。

そうじゃない。

 

世代が抱える負の遺産をここで断ち切ること。

私が全部ひっさげて、子どもたちに受け継がせないこと。

 

これは、そこに気づいた私の役割であると思っている。

気づくの遅かったけど、何とか挽回したいところかな。

 

自己肯定感を育て、自分の感覚を信じる、自分の感情と向き合う。

それが安心してできるくらいの関係性を私は、

子どもたちと築いていく。

 

私の備忘録。